鳥のことわざ

                                                           

雉 (キジ)


キジは「ことわざ」にでてくる鳥ベストテンで郭公と鷺と同順位の第10位である。
キジはキジ目キジ科の鳥で、日本の国鳥。
色彩の上から、日本の本州以南で、屋久島まで分布するニホンキジグループと北海道と対馬に放鳥されているコウライキジグループに分けられる。
ニホンキジグループの雄は頭・頸・胸・脇・腹が緑色光沢のある黒、顔は赤い皮膚が裸出。コウライキジグループの雄はくびに白い輪があり、胸から腹は橙褐色、上面も橙褐色味が強い。
雌は両グループとも、黄褐色に黒褐色の斑紋、尾は雄より短く先がとがる。
キジは「古事記」などに登場し、古くから狩猟の対象となっており、その肉は美味で珍重された。平安時代初期の「延喜式」にも、キジの干し肉が奉納されたことが記録されている。
日本では、狩猟期間中は狩猟できる鳥類が28種類と法律等で定められおり、キジもその中に含まれている。なお、キジは世界中で主要な狩猟鳥となっているが、国鳥が狩猟対象となっているのは日本だけといわれている。
キジは奈良時代から、"きじ"、"きぎし"、"きぎす"の名で知られ、「万葉集」ではもっぱら"きぎし"が用いられ、平安時代以後は"きじ"、"きぎす"が使われている。
また、キジの羽音を「ほろほろ」と形容し、鎌倉時代の「新撰和歌6帖」の「あきされば 野になくきじのほろほろと なみだこぼるる夕まぐれかな」と詠み、キジの羽音の「ほろほろ」と涙の「ほろほろ」とをかけている。
ここでは、本来キジの羽音である「ほろほろ」が鳴き声になっている。
「キジ」の語源は"きざし"のつまったもので、"きざし"、"きざす"の語源は、鳴き声をそのまま写したものと思われる。
漢字の雉は藤堂明保「漢字の話」によると、
「隹」(とり)と字音を表す音符「矢」からなる文字である。矢は直線状に数十mとんで、地に落ちる。つまり雉とは「矢のように飛ぶ鳥」と
いう意味である。特に雄キジの飛び方をよく表している。

「朝雉が鳴くは晴れ、夜鳴くは地震の兆(きざし)」
晴れていれば朝からキジは鳴く。キジが晴れを予想して鳴くわけではない。夜鳴かないのに、急に鳴きだすのは地震などの異変が起こる知らせとの言い伝えである。

「雉が鳴くと地震がある」
「雉がしきりに鳴くと地震あり」
「雉が三声つづけて三度叫ぶと地震あり」
「雉、鶏が不時に鳴けば地震あり」
「地震直後に雉が鳴かない時は、再び大地震が来る」
昔から地震の予兆とキジを結びつける俗信が各地に残り、江戸時代の「武江産物志」にも「雉 王子、駒場 地震の前に鳴く」の記載がある。
しかし、俗信だろうか、こんな話がある。
長野県軽井沢で10年以上も雉を飼っていた星野嘉助さんは、「浅間山が鳴動する時には、それがどんな小さな鳴動でも、その少し前に、キジが鳴き騒いだ。このことから、キジの足には地震の振動などを鋭く感じとる感覚細胞があって、人間にはわからないような振動をキャッチできるのではないか」というのである。
 このことから、やがて科学的に解明されて、キジが地震予知に役立つ?時がくるのであろうか。

「雉、大水(たいすい)に入りて蜃(はまぐり)となる」
 中国の俗説によれば、孟冬(陰暦十月)、雉は大河に入ってハマグリになるという。「礼記」月令にこのことの叙述があることからきたものと思われる。

「雉と鷹」
 キジと鷹が出会ったとき、キジは逃げることができない。なすすべもなく、立ちすくむさま。また弱いものと強いものを対比していうことば。

「雉の草隠れ」
 キジが草の中に身を隠すとき、首は隠すが尾は出したままでいる。一部だけを隠して全体を隠したつもりでいること。

「雉の糞掻き足」
 上べはきれいだが、目に見えぬ下の方がきわめて不潔なもののたとえ。
 『島根県方言辞典』にある。

「雉の黒焼きでも飲んだよう」
  キジの鳴き声が鋭く澄んでいることから、甲高いこえの形容。

「雉の頓使(ひたづかい)」
  「古事記」上つ巻、葦原中国平定の章にある記述。
高天原から葦原中国に遣わされた天若日子が八年経っても帰らないので、帰国を促す使者として、雉の鳴女が遣わされた。雉が天若日子の門の楓の木に止まって、天つ神の命を伝えると、天若日子は雉を射殺してしまった。  
このことから、行ったきり帰ってこない使いのことをいう。
また、次のことわざ、「雉も鳴かずば撃たれまい」は、この故事からきたともいわれる。

「雉も鳴かずば撃たれまい」
無用なことを言わなければ禍を招くことを招かないで済むことのたとえ。
こんな話がある。
昔、摂津の長柄川で橋を架ける工事が行われたが、幾度、架けても流されるので、人柱を立てようということになった。そのとき、長柄の里の長者が「袴につづれのある者を人柱に立てよう」いった。ところが、袴につづれのあったのは言い出した長者自身だった。
 里人たちは、有無を言わせず、長者を捕らえて、長者を人柱にし、橋が出来上がった。
長者には河内に嫁いだ娘がいたが、その娘は、この話を聞いて一言も口をきかなくなった。愛想をつかした夫は、摂津まで送り返そうと連れだって家を出て、交野まで来たとき、草むらで、「ケン ケン」とキジが鳴いた。夫は弓矢で射ろうとすると、娘は、懸命に止めた。夫は、いぶかしそうにしていると、娘は、口を開き、こんな歌を詠んだ。「ものいはじ 父は長柄の人柱 鳴かずば雉も 射られざらまし」。夫は心をうたれ、娘にわび、二人で河内にもどり、仲良く暮らしたという。
また、同じような「信州の昔話」がある。
 昔、犀川のほとりに、小さな村があり、この村は毎年、川がはんらんして多くの死人が出るため、村人たちは大変困っていた。
この村には、弥平という父親と、お千代という小さい娘が住んでいた。 お千代の母親は、この前の大雨に流されて死んだが、残された父と子は貧しいながら、それでも毎日仲良く幸せに暮らしていた。
 そしてまた、雨の季節がやってくるころ、お千代は重い病気にかかったが、弥平は貧乏だったので、医者を呼んでやることも出来なかった。せめてもと 弥平がお千代にアワのかゆでも食べさせようとしても、「わたし、あずきまんまが、食べたい」と首を振るばかりだった。
 あずきまんまとは赤飯の事で、お千代の母親が生きていたころに、たった一度だけ食べた事があるごちそうだが、今の弥平には、あずきどころか米の一粒もなかった。
 こうして弥平は可愛いお千代のために、生まれてはじめて泥棒をし、地主の倉から一すくいの米とあずきを盗み、お千代にあずきまんまを食べさせてやった。
 こうして食べさせたあずきまんまのおかげか、お千代の病気はだんだんとよくなり、やがて起きられるようになった。
やがて元気になったお千代は家の外に出ていくと楽しそうに歌いながら、マリつきを始めた。
「おらんちじゃ、おいしいまんま食べたでな
 あずきの入った、あずきまんまを 
 トントントン」
 やがてまた大雨が降り出して、犀川の水は今にもあふれ出さんばかりになり、「このままじゃ、また村は流されてしまうぞ」と村人たちは、村長の家に集まって相談した。
そうして、「人柱を立てたら、どうじゃろう?」ということになった。
 人柱とは、災害などで苦しんでいる人々が生きた人間をそのまま土の中にうめて、神さまに無事をお願いするという、むかしの恐ろしい習慣で、その生きながらに土の中にうめられるのは、たいていが何か悪い事をした人だった。
「そういえば、この村にも悪人がおったな」
と言ったのは、お千代の手マリ歌を聞いた百姓だった。百姓はみんなに、自分の聞いた手マリ歌の事を話し、弥平が地主のから米とあずきを盗んだに違いないと弥平を連れに訪れた。
こうして、弥平は泣き叫ぶお千代を残して村人に連れて行かれ、そしてそのまま帰っては来なかった。
さて、村人から弥平が人柱にされた事を聞いたお千代は、「おとう! おとう! おらが歌を歌ったばかりに」と何日も何日も、泣き続けた。そして、やがてある日、お千代は泣くのをやめると、それからは一言も口をきかなくなり、何年かたち、お千代は大きくなったが、やっぱり口をきけず、村人たちは弥平が殺されたショックで、口がきけなくなったと思った。
 それから何年か経って、一人の猟師がキジを撃ちに山へ入り、「ケン ケン」というキジの鳴き声を聞きつけて、鉄砲の引き金を引いた。
そうして、仕留めたキジを探しに、猟師は草むらをかきわけていってハッと足をとめた。撃たれたキジを抱いて、お千代が立っていたのだ。
 お千代は死んでしまったキジに向かって、悲しそうに、「キジよ、お前も鳴かなければ、撃たれないですんだものを」と言った。
 そのあと、「お千代、おめえ、口がきけたのか?」の問いに お千代は猟師には何も答えず、冷たくなったキジを抱いたまま、どこかに行ってしまった。
 それから、お千代の姿を見た者はいない。
「キジよ、お前も鳴かずば撃たれまいに」
 お千代の残した最後の一言がいつまでも村人のあいだに語り伝えられ、それからその土地では人柱という恐ろしい事は行われなくなった。
 この「ことわざ」の由来とされる「キジの鳴き声」と「人柱」が、遠く離れた所の別々の「昔話」に、同じように登場するのは興味深い。

「焼野の雉(きぎす)、夜の鶴」
キギスはキジの古語、シは鳥を表す接頭語で、
キギはキジの鳴き声からきた。
親が子を思う情の切なることをいうたとえ。
 キジは自分の巣のある野を焼かれると、わが身の危険を忘れて子を救う。鶴は霜の降る寒い夜は、自分の翼で子をおおって守る。
 現実にあることのようで、内田誠之助の「鳥」には、こんな話が紹介されている。
  昭和21年6月、愛媛県周桑郡で山火事があった。小学校の先生、深田耕二さんが、焼け跡を歩いていると、メスのキジがうずくまっていた。近づいてよく見ると、キジの長い尾羽は真っ黒にこげ、目のまわりは焼けただれていた。
さらに、近付くとキジは飛び立ち、そのあとにには5個の卵があつた。さわると温かった。
このキジは、山火事の間も、じっと巣を守り卵を抱いていたのである。
 雉の母性愛は、また、鎌倉後期の私選和歌集「夫木和歌抄」には「むさし野の雉子やいかに子を思うけぶりのやみに声まどうなり」(後鳥羽院)と詠まれている。

「雉を食えば3年の古疵も出る」
キジは脂肪分が多いので、それを食べると3年前の古傷も膿を持つという意味。

「雉の雌鶏は女鳥」
あたりまえのことをいう。

「雉の片股鷹の食」
「きじのかたももたかのじき」
ことわざではなく、上から読んでも、下から読んでも同音になる回文の一つ。


「世界のことわざ辞典」より

「野のキジを追って、家のニワトリを逃がすな」
欲をはらずに、自身のものを大事にしなければならない。 (ウイグル


キジも「鳥のことわざベストテン」では、カッコウ、サギと並んで10位で、ことわざに登場すること少ない。
そこで、蛇足ながら、「ことわざ」には関係ないが、2、3の事柄を紹介したい。

「鳥のおもしろ私生活」

 春になると、オスは草地の中を中心とした直径400m程度のなわばりをもち、小高い盛り土の上のようなところで、その宣言をする。
(特徴あるオスのけづめは、なわばり争いのときの武器である)
数羽のメスのグループがオスのなわばりをいくつか回って歩き、オスは自分のなわばりを訪問してくれたメスたち全員の前で必ずディスプレイをして交尾をする。デイスプレイは赤い顔を膨張させて顔を下げ、翼を半開きにし、さらに尾羽の上面をメスの方に向けて扇状に開くという。なかなか、こった姿勢でカッコウつけるものだ。どうも乱交の状態になっているらしい。
 キジのオスは子育ての手伝いは一切しない。
乱交なので、どれが自分の子かわからないから愛情も湧かないだろう。メスは1羽で巣をつくり、卵を抱き、子育てをする。
 秋冬はオス同士、メス同士で別々に群れを作って行動する。

   ピノッオ編著「鳥のおもしろ私生活」 (主婦の友社刊)より

日本の国鳥がキジになったわけ

  戦後、鳥類保護の思想普及のため設定。
  日本の国鳥がキジに指定されたのは、まだ、鳥類保護の思想が普及おらず、あちこちで、野鳥がとられていた戦後間もない1947年のことである。
 連合軍総司令部の野外生物課長のオースチン博士が野鳥を保護するように勧告、これを受け、当時の農林省は狩猟鳥の制限を厳しくし、文部省は愛鳥教育を取り入れた。
 その一つとして、バードデイ(愛鳥日)が制定されることになり、当時はバードデーは4月10日であったが、現在は、バードウィーク(愛鳥週間)と名称が変わり、期間も5月10〜16日に変更された。
日本鳥学会がキジを選定した理由は?
  文部省は鳥類保護の思想を普及させるのに、象徴となる国鳥の選定を日本鳥学会に依頼、これを受けて、例会で22名の鳥学者で、議論された。
  席上では、「日本特産のキジか、ヤマドリ」、「平和の象徴のハト」、「美しい声で歌うヒバリやウグイス」などの候補があげられたが、多数決でキジが選ばれた。
  その理由は
 第一に日本特産種のひとつで、本州・四国・九州で一年中見られる留鳥であること。
 中でもキジは人里近くに生息し、目にする機会の多い鳥であること。
 第二に、雄の美しい羽色や勇敢な性質、ことわざにあるように雌の母性愛の強さなどの性質が多くの人に好まれていること。
 第三に、日本の文学や芸術などで、古くからしたしまれていること。たとえば、「桃太郎」などは子供たちにもなじみある話で、キジは老若男女に問わず知られていること。
 第四に狩猟鳥としてもなじみが深いこと。
  以上の理由で、キジが国鳥にきまったが、
現代では「国鳥が狩猟鳥であることはおかしい」と考えるかもしれないが、当時は、 国鳥にえらばれた理由となっていた。

    山階鳥類研究所著「鳥類雑学事典」 (日本実業出版社刊)より

  なお、後述の「大江戸鳥暦」の中では、「キジの習性は雄が何羽もの雌を従えてハーレムを作る一夫多妻制の鳥だと思われていたが、最近の研究では、雌のグループが雄の縄張りを巡回し、気に入った雌雄が次々に交尾を行う乱交性の鳥であることがわかった。このような習性が分かった時点でも国鳥となっただろうか」と記せられている。
 
川柳に見る江戸のキジたち

 「雉子の声 杣(そま)は昼寝の目をさまし」
 「一声は啼かれぬものか雉子の声」
  杣はきこり、キジの雄が縄張りを守るために、「ケン、ケン」あるいは「ケーッ、ケッ」と聞こえる大きな声で鳴く。さらに、その後に翼を胴体に打ち付けて「ドドド・・・」という音を加える。昼寝のそばで鳴かれれば、目が覚めることは間違えない。
 二句は大きな声で鳴くだけでなく、続けて鳴くキジの習性をよんだもの。

 「雉子橋でけんもほろろに叱られる」
雉子橋はかって江戸城のお堀にかかる橋のひとつ。キジを飼った小屋があったのが名前の由来とされる。前述のキジの鳴き声の内、身体に翼を打ち付ける音を「ほろほろ」と聞いて「母衣打ち(ほろうち)」と呼ぶ、これと「けんもほろろ」をかけたもの。お江戸城の警護厳しさを詠ったものである。

    松田道生著「大江戸鳥暦」 (河出書房新社刊)より
 
和歌、俳句に詠まれた雉

万葉集に登場する雉

「春の野にあさる雉の妻恋ひにおのがあたりを人に知れつつ」 (大伴家持)
春の野にえさを求めて動き回っている雉が、妻恋いして鳴いて、居場所を人に知られてしまう

「雉鳴く高円の辺に桜花散りて流らふ見む人もがも」 (作者不詳)
雉が鳴いている高円(たかまど)のあたりに桜の花が風に散っている。一緒に見る人がいるといいのに

「あしひきの片山雉立ち行かむ君に後れてうつしけめやも」 (作者不詳)
片山に棲む雉 、その雉があわてて飛び立つように慌しく旅立っていかれるあなた。
残される私はどうして正気でいられましょうか。

「あしひきの 八つ峰の雉 鳴き響む 朝明の霞 見れば悲しも」 (大伴家持)
数多くの嶺で住む雉が盛んに鳴いている中の朝明けの霧を見ると悲しくなる。

「武蔵野のをぐきが雉立ち別れ去にし宵より背ろに逢はなふよ」 (作者不詳)
 「をぐき」は雉が住む洞。武蔵野の穴にすむ雉のようにあわただしく飛び立って立ち別れたあの宵。あれっきり、あの人に逢えなくて切ない。

「杉の野にさ躍る雉いちしろく音にしも泣かむ隠り妻かも」 (大伴家持)
杉の野に飛び跳ねる雉は、目立つほど大きな声で鳴き、とても忍ぶ妻とも思えない。

辻 桃子監修「俳句の鳥」より
雉は、春にオスがメスを呼ぶ声から春の季語とされている。ケーン、ケーンともの悲しく鳴くため和歌では妻恋い、子恋いの思いを込める題として多く詠まれたが、俳句では実物を写生した句が多い。

「雉子の眸のかうかうとして売られけり」  加藤楸邨

「石段をよぎる雉子あり高山寺」   野村泊月

「鳴くだけは鳴いてゆきたる雉子かな」   安達ほたる

「雉巻いてまだなまぬるき新聞紙」   小原啄葉

「雉子鳴くつめたき富士と思ふかな」   岸本尚穀